玉神輿の起源と変遷
天神祭と玉神輿
大阪の夏の風物詩のひとつである天神祭。その渡御列の最後を締め括る神輿は二基で、一つは天神さん界隈の町会でお守りされている「鳳神輿」。もう一つは、中央市場本場がお守りする「玉神輿」です。二つの神輿は天保年間に製作された兄弟神輿で、江之子島(現在の西区阿波座周辺)の7人衆の寄与によるもので、当時江之子島周辺には船大工がたくさん居たそうで、両神輿はその人たちの手で作られ釘は一切使われていない、他に例を見ない頑丈な造りとなっています。重量は、鳳神輿が約1.5トン、玉神輿が約2トンあります。
中央市場と玉神輿
それでは、中央市場と「玉神輿」とはどのようなつながりなのでしょうか。それは、江之子島7人衆の一人であった吉川家の子孫が、故吉川市松氏(当組合5代目理事長)で、玉神輿の持ち主であった氏の祖父が当組合に寄進したことに端を発します。
吉川氏が昭和26年に大阪経済の復興の為にと大阪府、大阪市、商工会議所に賛助を仰ぎ「天神祭玉神輿奉賛会」を発足、当組合を中心に中央市場の若衆で担がれるようになりました。
その後、中央市場の関係組織である「中央倶楽部」(現在の社団法人大阪市中央卸売市場協会の前身)に「玉神輿」は継承され、綜直(当組合)、漬物卸、乾物卸、水産卸、青果卸の5団体の青年会でお守りすることとなりました。
当時の担ぎ手(与丁と呼ぶ)に対する御祝儀は、「市電の回数券とおにぎり」だったそうです。
青年会と玉神輿
前述のとおり、当組合・中央市場玉神輿にはとても深い縁があり、綜直青年会としてもこの縁を大切にしながら、玉神輿をお守りしていきたいと思っています。近年は、市場に従事する若者、当組合青年会も若者が減り、与丁も減少傾向にありますが、綜直青年会としても今後中央市場らしく玉神輿の巡行を行なうため、また中央市場・組合員の発展のためにも、できる限りの努力をしていきたいと考えています。
小生も綜直青年会に所属し18の歳より4度、与丁を経験していますが、当時は市場全体が活気に溢れ、市場に従事している若者も血の気も多く、神輿の巡行をめぐり、どつきあいの喧嘩あり、小競り合いありで、平穏無事な年は無かったように思います。
現在に至っては、各団体から参加するゆかた組(役員)が年間を通じて交流するようになり、愛して止まない玉神輿を、いかに美しく煌びやかに巡行するかという共通の思いで精進しています。
(副理事長 伏岡一成)